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玉の森のタブノキが剪定されました

2022年11月14日

忌部歴史研究会が、『玉の森』に生える大木タブノキを剪定しました。剪定は約20年

ぶりとのこと。今後、『玉の森』の由緒板を製作する予定です。

 

『玉の森』とは、古代の玉作を担った玉作部の崇拝した

(くし)明玉(あかるたまの)(みこと)の御陵(お墓)の跡です。

 

今から約1200年前の奈良時代から平安時代にかけて、天皇の側近で朝廷の儀式を司った

中央豪族を忌部氏と言いました。忌部氏は祭場に必要な玉を産する花仙山のある玉湯町と

隣接の東西忌部町を支配し、この地を忌部(いんべの)神戸(かんべ)と称しまし

た。花仙山は、当時我が国で唯一の玉生産地でした。

 

忌部氏は、玉作部が崇拝する「(くし)明玉(あかるたまの)(みこと)」の御陵(お墓)を

玉湯でなく忌部の地に設けました。

忌部氏がここを選んだのは、特別宗教性の高い神聖な場所として、重要視したものと考えら

れます。

 

『玉の森』は忌部神社から見下ろす石段の南側の田畑の中央にあります。

以前は10ⅿ四方くらいの饅頭の形をした小さな森でしたが、享保年間(18世紀初頭)

の洪水によってくずれ、現在の3ⅿ四方のものになったという言い伝えです。

この中央にあるタブノキが、枯れそうになってもまた新芽が出て何百年も続いている

ということです。

 

この地の名称が「忌部」となったのは、中央豪族忌部氏との深いかかわりがあったから

だと考えられます。

『玉の森』はそのひとつの証ともいえるかもしれません。

 

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忌部神社から臨む   向側は県道24号線

 

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県道側から臨む  左上が忌部神社