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白鹿城跡を見学しました
10月30日(木)法吉公民館成人部主催の歴史講座を開催し、白鹿城跡を見学しました。
白鹿城は、戦国時代に尼子氏が法吉町の白鹿山に築いた山城で、尼子氏と毛利氏の攻防の舞台となった場所です。
奥に見えるのが白鹿山。標高は約150mです。
登る前に、8月に勉強したことの復習。講師は8月の座学に続いて、松江歴史館専門官宍道先生です。
道はなかなかの急こう配ですが、みなさんお元気!
平均年齢○○才の集団とは思えません(*^_^*)
ちなみにこの日の最高齢は法吉の生き字引F先生。なんと御年89才!!すごいですね!(^^)!
三ノ床に到着。
小休憩ののち、次は二ノ床を目指します。勾配も徐々にきつくなってきました。
二ノ床到着です。
少し疲れてきた人も出てきたかな?
頂上、一ノ床までもう少し。もうひと踏ん張り頑張りましょう。
全員無事に頂上、一ノ床に到着。
一ノ床は平坦面がかなり広く大勢の兵を収容できたことが予想されます。
祠も建ってました。
尼子方の戦死者を祀っているものだといわれているようです。
最後に本丸へ。本丸は頂上、一ノ床から少し下ったところにあります。
本丸にて、周辺の郭や別の登り口などさらに説明していただきました。
白鹿城は、尼子氏の本拠月山富田城を攻める上で、島根半島方面からの援軍や糧食をストップする大きな役割を果たしていたそうです。
月山富田城の陥落は、白鹿城を毛利氏の手に押さえられたことが大きく、尼子氏滅亡の第一歩となりました。
その後毛利氏は白鹿城を廃し、白鹿山の北方にある真山城に城を築き、この地方の重要基地としました。
有名な山中鹿介は、月山富田城の陥落から3年後、真山城を攻め落とし、真山城に本営を置き尼子氏の再興を図りました。
宍道先生には、尼子と毛利の白鹿城を巡る攻防を座学でもわかりやすく解説していただきましたが、
実際に現地で話を聴くと、より当時の雰囲気がわかるような気がしました。
最後に白鹿山の姿をもう一度。
あんなに高いところまでホントに登ったんですね\(^o^)/
皆さんお疲れ様でした<(_ _)>
来年は真山に登ってみる予定です。